『父上ヲ殺メシ、母上ヲ殺メシ恨ミ……晴ラス!』
頭の中に響いてくる声、それは私にとって言われようもないことだった。父を殺め、母を殺め……流石に私は人を殺めたことなどない。一体何を言っているのだ……?
「なっ!?」
そしてまるでその声に操られたかの様に私にゆっくりと近付く佳乃嬢。もしや佳乃嬢が力で直接私の頭の中に語り掛けてるのか?
いや、それはない。仮に佳乃嬢が力を持っていたのなら、あのカッパ渕の時……
「そうか!」
そこまで考えて、私はある一つの可能性を見出した。この声が佳乃嬢ではないのなら、考えられるのは一つ……
「あの時の想いの塊。貴様が佳乃嬢に……。ぐっ……!」
最後まで喋る間もなく、伸び出して来た佳乃嬢のか弱い両腕に私は首を締められた。そのきゃしゃな腕からは想像も付かないような握力。だがこれで疑惑が確信へと変化した。
やはり佳乃嬢は取り憑かれているのだ、あの想いの塊に。
(ぐっ、しかしこれでは……)
私はその腕を必死に払い除けようとしたが、常人を超えた力で締め付ける腕を払うことは叶わず、佳乃嬢の両腕はまるで強力な圧縮機の様に私の首を締め続けた。
『八幡太郎……父上、母上ノ無念ヲ味ワエ……』
八幡太郎、それが遠のく意識の中で私が最後に聞いた言葉だった……。
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第拾壱話「河童と狐」
「あうーっ」
もう駄目かと思った刹那、部屋の中へロコンが駆け付けた。ロコンは私の首を締める佳乃嬢の右腕に噛み付いた。
『このっ、佳乃お姉ちゃんから離れろっ』
『人ノ言葉ヲ語リシ狐……マサカ……!?』
遠のく意識の中で聞き取った声、それは信じ難いことであったが、ロコンから発せられた声であった。
そしてその言葉に驚いたかの様に取り憑かれた佳乃嬢は両腕を離し、そして駆け足で部屋を飛び出して行った。
『待て!』
それに続きロコンも部屋を飛び出して行った。私もすぐさまその後を追いかけようと思ったが、首を締められる前に傷付けられた足が痛み、上手く立ち上がることが出来なかった。
「往人さん、大丈夫!?」
何とか立ち上がろうと必死に足を動かしていると、部屋の中へ真琴嬢が駆け付けて来た。
「ああ。それより、私に構わず佳乃嬢を……。恐らく今の佳乃嬢はあの想いの塊に取り憑かれている……」
「あの時もしやと思っていたけど、やっぱり取り憑いていたのね……」
「一体こんな夜中に何を騒いでいるんだ……?」
重い眼を擦りながらパジャマ姿の女史が部屋の前に現れた。
「聖さん、実は……」
重々しい口を開き、真琴嬢が事の一部始終を女史に語った。
「何だって佳乃が!? しかしそんな事が現実に……」
真琴嬢の話を聞いた女史は、佳乃が取り憑かれたことに驚くと共に、我が耳を疑っていた。
無理もない、霊が人に取り憑くなどという話は素直に受け止め難いものだ。それが実証性に基いて論を展開する学者肌の女史なら、尚更のことだろう。
「聖さん、少しお風呂場を貸していただけませんか?」
頭の中で今起きていることを必死で整理している女史の前に、昨日から泊まっていたあゆ嬢と祐一が姿を現した。昨日の晩気になることがあると言って寝泊りしていたのであるが、恐らくこのことが起きる可能性を予め予測していたのだろう。
「ああ、使うのは構わないが、何故だ?」
「身体を清めたいんです。佳乃ちゃんは私が何とかしますから」
「何とかする? もしや君は母上の跡を……」
「はい。今まで黙ってましたけど、私もお母さんと同じ月讀宮です」
「そうか……。済まない、佳乃を頼む……」
そう語り終えると女史は静かに部屋の前を後にした。その足取りは何処か重々しくも力が抜けた感じの足取りであった。
「はい、約束します」
女史の願いに頷き、あゆ嬢は風呂場のある方に向かって行った。
「時に祐一。確か傷の治癒は己の再生力を高めれば良いのであったな」
「ええ」
「ならば……」
祐一は言った、自分の力は私に及ばぬものであると。ならば祐一の力を凌駕する私の力ならば己の傷を治癒することなどたやすい行為だと思い、私は傷口に己の手を翳し、人形を動かす時と同様の力を発した。すると、想いの塊に傷付けられた箇所はみるみる塞がっていった。
「ふう、言われてみれば人形を動かす行為より容易であるな。しかしあの想いの塊、父母の仇や、八幡太郎などと言っておった。正直私には何のことかさっぱり分からなかった」
「八幡太郎……。ねえ、兄様。柳也さんがお会いした源氏の血を引きし者は、義家、義経、春菊さん、そして兄様の四人だったわね?」
「ああ。あの地に眠ってからお会いしたのはな」
「なら、あの想いの塊が往人さんに反応したのも頷けるわね」
「済まぬが、二人の間だけで話を完結せぬでくれぬか?」
柳也という名、源氏の血を引きし者……。目の前で交わされている会話は私の入れるものではなかった。恐らくこの事件を解決に向かわせることを話しているのだろうが、少し位は私にも理解出来る範疇で話してもらいたいものだ。
「つまりはこういうことよ。想いの塊が言った『八幡太郎』というのは、八幡太郎源義家を指しているということよ」
成程。そう言えば源義家は生前の武勇の功績から”八幡太郎”の異名を持つという話を聞いたことがある。しかし、八幡太郎が義家を指すことは分かったが、義家と私の接点は未だ見出せない。
「いや、ともかく今は佳乃嬢の後を追い掛けるのが先決か。真琴嬢、祐一!」
「そうね。早く後を追いかけなきゃ」
「私はあゆが準備を整えたらあゆと一緒に後を追う。だから二人で先に行ってくれ」
「諒解した!」
そうして、あゆ嬢と共に向かうという祐一を残し、私と真琴嬢は佳乃嬢の後を追う為、激しく雨が降り続ける外へと飛び出して行った。
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「待ってくれ! 歩くより私の車の方がいい」
「霧島女史!」
家の外に出、走って佳乃嬢を追い掛けようとした所、普段着に着替えた女史が姿を現した。その顔は何処か思い詰めた感じがあリ、端から見ればこのまま家に留まっていた方が良いような雰囲気であった。
「聖さん、無理しなくていいのよ」
「いや、佳乃は私の妹だ。あの時から私は佳乃を護ると決めたんだ! だからっ……!」
いつもは気丈に振舞い力強いイメージを与える女史が、今はいつになく弱々しく感じた。その姿は、まるで何かに寄りすがりたいのを必死に堪えている様であった。
「分かったわ。じゃあ聖さんお願い!」
だが、その言葉は確かに佳乃嬢の身を案じており、私と真琴嬢は女史の操る車へと乗車した。
「相沢君、佳乃が何処に行ったか見当つくか?」
「ええ。恐らくカッパ渕に向かったと思うわ」
「カッパ渕か。しかし本当に佳乃に霊に値するモノが取り憑いていたとして、何故それが佳乃でなくてはならなかったのだ!?」
車を運転する女史のは高ぶる思いを必死に抑える様に口を開いた。暗闇のバックミラーに微かに移る女史の顔から、何となくだが女史の気持ちが伝わって来る。
「想いの塊が他人に取り憑くには一つの条件がいるわ。それは心の同調。それが出来なきゃ、例え取り憑いたとしても体が拒絶反応を起こし出て行かざるを得なくなるわ」
「つまり、佳乃は霊と心を同調したのか……?」
「ええ。だから昼間は何ともなかったのよ。そして時を計らい、佳乃ちゃんが眠ることにより意識を遠のかせたことにより、取り憑いた想いの塊が行動を始めたのよ。
もっとも、何故佳乃ちゃんと心が同調出来たかはわたしにも分からないけど……」
「……」
その真琴嬢の言葉を最後に、車中には沈黙が降り立った。そして暫しの沈黙が続いた後、女史がゆっくりとか弱い声で語り出した。
「私は姉失格だな……。今自分の妹が大変な目に遭っているというのに、頭の中では違うことを考えている……。月讀宮、そして霊……、この二つが結び付く先には、長年父が捜し求めていたものの答えがある。ようやくその答えに辿り着くと……」
抑えきれない心のわだかまりを一気に放出して語る女史の姿を見て、私は女史が何故思い詰めた顔をしていたか理解出来た。
それは佳乃嬢を心配する余りの思い詰めた表情だと思っていたが、その実は妹を心配する気持ちと、自分の追い求めていたものの答えに辿り着けるという、一種の葛藤から来ていたものだった。
「まったく、本当に最低だ、私は! 妹を案じる気持ちの中に答えに辿り着きたいという気持ちが確かにあるというのが気に入らない……。お父さんっ……」
咳を切ったような涙声で感情をぶつける様に自分を責める女史。そしてその最後に細々と出た言葉は、父親を求める声だった。
堪え切れない程の葛藤を抱えた女史、もし父親がいればその胸に抱き付き想いのすべてをぶつけることが出来ただろうに。
いつもは強がっていた女史。だがその心の奥では強く父親を求めていたのだ。そしてそのやるせない想いが今吐き出されたのだ。
「佳乃、今行くっ……!」
そして心の葛藤を吐き出した女史は、強くハンドルを握り締め、アクセルを全開で踏んだ。想いの塊に取り憑かれた妹を助ける為に!
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「佳乃!」
常堅時に車が着き、真っ先に女史が車から飛び出した。そして女史は降りしきる雨を顧みずに、カッパ渕の方へ全力で向かって行った。
「しかし車で追い掛けたのでは途中で追いぬいた可能性も考えられぬか?」
女史に続けて車を飛び出した私は、共に駆け付ける真琴嬢に訊ねた。人が走る速さと車の走る速さを考えれば、佳乃嬢より早く着き、追い越してしまった可能性も充分に考えられる。
「いいえ。佳乃ちゃんが家を飛び出してから私達が追いかけ始めるまでの時間が5分前後、車でここに来るまでの時間が同じく5分前後。歩いて30分の距離なら10分も掛からないで走り抜けるのも可能だわ」
「成程」
寺の裏手側に回り、カッパ渕に続く小道へと入る。雨でぬかるんだ道は足を弾き込み泥を跳ね返したが、皆それに気を止めるまでもなく走り続けた。
「!!」
カッパ渕に着くと、そこでは取り憑かれた佳乃嬢とロコンが必死の攻防を繰り広げていた。
『この、いい加減にお姉ちゃんから離れろ!』
『クッ……』
激しい攻防は体格差から明らかにロコンが劣勢であったが、それでも負けじと佳乃に取り憑いた想いの塊を引き出そうと体当たりを続けていた。
「何だ、この声は……?」
どうやら私の頭に響いて来る声は女史にも聞き取れるようで、頭に響き続ける声に動揺を表していた。
「声は能力者にしか聞えないのではなかったのか?」
「いいえ。それは互いに伝え合う時だけよ。無作為に響かせていれば誰にでも聞き取れるわ」
『離れろって言ってるだろ!』
強くロコンが叫んだ瞬間、信じられない事が起こった。ロコンの体が火花を散らしながら光りだし、そして見る見る内に十歳程の少年の姿へと変わっていったのだった。
余りに信じられない光景に私は思考が停止する程だった。狐が人間へと変わる、仮にそれが何かしらの力だとしても、私の法術ですら出来ない驚異の力に思えた。
『ッ……!?』
その光景に取り憑いていた想いの塊も驚いたのか、人間へと姿を変えたロコンの手が伸びる直前に想いの塊は佳乃嬢から抜け出した。
「お姉ちゃん!」
それを証明するかの様にふらっと地面に倒れ込みそうな佳乃嬢を、ロコンは倒れる直前に両腕に抱えた。
「佳乃!」
その瞬間、ロコンの変身に気を取られていた女史が我を取り戻し、佳乃嬢へ近付いて行った。
「お姉ちゃん、佳乃お姉ちゃん!」
「ん……。あたしを呼ぶのは、誰……?」
必死に叫ぶロコンの声に反応し、佳乃嬢がゆっくりと目を空けた。どうやら無事意識を取り戻したようだ。
「お姉ちゃん……。良かった……」
「君は……誰……?」
「お姉ちゃんがロコンって名付けてくれた狐だよ……」
「ロコン……? そう、ありがとうロコン。あたしを助けてくれたんだね……」
目の前に人間の姿でいるロコン。その現実に佳乃嬢は驚くことなく、目の前の少年をついさっきまで狐だったロコンだと認識した。ロコンの素直で純粋な気持ちに佳乃嬢も応え、素直な気持ちでロコンに礼を言い、そして優しく抱き締めた。
「うん、僕お姉ちゃんを助ける為に必死に頑張ったんだよ……。でも本当に良かった、お姉ちゃんが元に戻れて……」
「ロコン……?」
そう言い終えるとロコンは無垢な笑顔のまま静かに目を閉じた。
「死んだのか?」
「いいえ。力を使い果たして眠りに就いたのよ。無理もないわ、人間に戻るのは途方もない負荷が掛かるのよ。それに大切な人に抱き締められると、ついその人の胸元で眠りたくなってしまうの……」
「まるで自分が同じことを体験したかのような言い草だな」
「ええ。だってわたしも嘗ては狐だったから……」
「!?」
真琴嬢の口から出る衝撃の言葉。嘗て自分も狐だった――。
だがそう言われてみれば頷けるものがある。何故ならばロコンが人間に変わる瞬間の真琴嬢の表情は、驚いているというよりはまるで何かを懐かしんでいるようであったからだ。
しかし先程の真琴嬢の言い分だと、ロコンは狐なのではなく人間であったということになる。一度人間だった者が狐になり、そして再び人間へと戻る。そこには一体どんな作用が働いているのだろうか?
「だけどこのままじゃいずれロコンは死ぬわ……」
「死ぬ!? 何故に?」
「人の生活習慣が著しく非自然的になった為、例え人間に戻ったとしても今の身体では現代の生活習慣に堪えられない。わたしのように強力な魂と同化でもしない限り……」
次々に真琴嬢の口から語られる言葉は、私には理解し難いものであった。ただ一つ言えることは、そこに私の法術とは異質な”力”が確かに働いているということだ。
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ピイイ……ピイイ……
「ちいっ!」
佳乃嬢の体から抜け出したものの想いの塊は消滅した訳ではなく、行き場を失ったように辺りを彷徨っていた。
「波紋疾走!!」
するとそこに祐一が駆け付け、真っ先に力を放った。すると想いの塊は我に返ったかの様に落ち着きを取り戻した。
「これでいいんだな、あゆ?」
「うん。ごめんね、手荒なことはしたくなかったけど、今の君を止めるには語りかけただけでは駄目だと思ったから……」
祐一に付き添って来たあゆ嬢の姿を見て、私は不思議な感じを抱いた。煌びやかな巫女服に身を包むあゆ嬢、その姿は不思議な懐かしさを私に感じさせた。
「いい? 何も怖れないで私の体を使って。君が抱えている想いの全てを語り出す為に……。迷えし御靈よ、我の體を傳いその想いを語らん……混魂我身……」
不思議な踊りを舞いながら祝詞を唱えるあゆ嬢。頭の中にあの超音波が聞えてくることから、この行いには何かしらの力が作用しているのだろう。そして確かにあゆ嬢に想いの塊は取り憑いたようで、地面に正座し、青年の様な口調であゆ嬢が口を開いた。
あゆ嬢を通して語られる想いの塊の素性、その名を八雲というらしい。
「そう君は八雲君って言うんだね? じゃあ八雲君、どうして君が大気への旅に出ずにこうして大地に身を留まらせていたか話してくれる?」
語り掛ける為にあゆ嬢は一時的に我へと戻り、そして再び青年の様な声で語り出した。
事に至るまでは八雲が生まれる前に遡り、時は康平五(西暦1062)年のことだという。その当時は数年前から始まった後に前九年の役と呼ばれるようになる戦が、朝廷側と出羽の清原氏が手を結んだことにより、対する安倍氏側が次第に劣勢に立たされていた時であった。
八雲の父は安倍氏配下の兵士で、現在の岩手県金ヶ崎町にあった鳥海柵を警護する一兵士であったという。戦況が悪化し、安倍一族が本拠地であった衣川の館を焼き捨て、盛岡の厨川柵に敗走する羽目になった折、その鳥海柵は防衛線の一つになっていた。
その時の戦況からして鳥海柵が打ち破られ、厨川柵を本拠地とした事実上の最終決戦が展開されるであろうことは火を見るより明らかだった。
だが、自分達の住む地を護り抜く為、そして”みちのくの帝”と裏葉という女性を朝廷に渡さない為に、八雲の父は自分の命が途絶えようとも戦うつもりであったという。
その時八雲の父は身篭っていた八雲の母白穂を、追っ手の届かない現在の遠野方面に逃げるように言ったという。白穂は自分も夫と共に死ぬと言ったが、夫は生まれて来る子供の為にも生きろと語り、夫の気持ちを理解した白穂は言われた通り遠野方面に逃げたとのことだ。
そして遠野に着き暫くした後、夫の討死の方が戦いに生き残り逃げ延びた兵から伝えられたという。
白穂は哀しみを堪えながら夫の最期を聞いたという。その兵士が語るには朝廷軍の最前線は源氏の若き武将八幡太郎義家が担っていたという。その義家の強さは正に鬼神の如き強さで、一太刀で兵の五、六人の首を切り落とす程の豪傑であったという。夫はその義家に果敢に立ち向かったが、一太刀を浴びせる間もなく義家の一撃に討死したという。
白穂はその後哀しみを背負いながらも、生まれくる子供の為に一生懸命に生きた。その健気な生き方に村の人々も共感を示し、村人との交流の中で白穂は徐々に哀しみを癒していった。
しかしそれもすべて八雲が生まれるまでだった。白穂が必死の想いで生んだ八雲は人の形をしていなかった――。
「そして生まれた僕は村の人々から『河童』と怖れられ、迫害された。だけど母上は僕を殺めることなく大切に育ててくれた……」
我が子を殺める母が何処にいようか――、それが白穂の口癖であったという。だが、村人から河童と怖れられた八雲を抱えたまま従来の生活を続けることは叶わず、次第に村外れのカッパ渕の付近で生活を営むようになったという。
村から隔絶された白穂と八雲の生活は、とにかく苦しかったという。食事も自炊に頼らざるを得ず、生活は困窮した。
「そして僕が十になった時、過労が元で母上が亡くなった……。そしてそれから僕は一人で生き続けた。河の魚を掬い、野山の山菜や木の実をかき集め、米を食したい時は村を襲った……。それを繰り返す度僕はますます河童と怖れられるようになった。そして……」
白穂が亡くなった十数年後、村人に河童として怖れられていた八雲を退治する為、当時陸奥守として赴任して来ていた義家が八雲の前に現れたという。
「八幡太郎が自ら名を名乗った時、僕は激昂した。この男が母上から聞かされていた父上を殺めし者なのだと……」
義家が名乗りを上げた瞬間、八雲は有無を言わさずに斬り掛かったという。すると義家はそれを避けることなく一撃を食らったという。
「八幡太郎討ち取ったり! 父上の仇が討てたと僕は思った。けど……」
次の瞬間義家の口から出た言葉は「これで満足か……」という言葉だったという。その言葉の後義家は自ら突き刺さった刀を抜き、その傷を自らの力で再生したという。
「その光景に僕は驚いた。この者は本当に八幡神なのかと……」
だが、それは八雲の一撃をわざと受けたということであリ、八雲はますますいきり立った。そして再び斬り掛かると今度はあっさりと避けられ、義家の太刀は八雲の首を正確に捉えた――。それが八雲の最期であったと……。
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「そう、だから君は義家さんを恨んでたんだね。それでいつか必ず仇を討つって、大地に魂を縛っていたんだね……」
「うん……」
「だけどその義家さんはもう数百年前に亡くなってる。君が恨んでいる人はもうこの世にはいないんだよ」
「それは分かっていた、だけど、だけど……」
交互に口調を変えて話すあゆ嬢。この八雲の気持ち、分からなくもない。親を殺めた者に今度は自分自身が殺められたのでは死んでも死に切れないだろう。
だが、だからといってその覚えがない私が恨みを晴らす対象とされるのはご免こうむりたい。
それにしても、今の八雲の話は色々と気になる点がある。義家の力、そしてみちのくの帝と裏葉という女性……。
所謂前九年の役の裏では、歴史では語られない様々な真相が飛び交っていたのだろうか?
「どうする? このまま私に取り憑いたまま往人さんに恨みを晴らす? それとも……?」
「ううん、あの人は八幡太郎じゃない、貴方とこうして話してようやく冷静に物事を受け止められるようになった……。
僕は、僕は酷いことをしてしまった……。僕が取り憑いたあの人、あの人は僕の心の哀しみを理解して受け止めてくれた。母上以外で人の温かみを感じたのはあの人が初めてだった……。
でも僕はその人を自分の恨みを晴らすのに利用してしまった……。本当にごめんなさい――そして貴方にお願いがあります、もし願いが叶うならあの狐と僕を一緒にさせて下さい……。あの狐が魂の同化なくして生きられないのなら僕の魂を――」
「いいの? そうすれば君の記憶は受け継がれるけど、君の意志は同化する過程で消えていくよ……?」
「うん、それが僕のあの人に対する償いであると思うし、そして記憶だけでもあの人の温かみの中で生きられるのなら――」
「君の想い、確かに受け止めたよ。じゃあ……」
一通りの会話を終えるとあゆ嬢が立ち上がり、ゆっくりとロコンを抱えた佳乃嬢の方へ近付いていった。そして先程とは違う不思議な踊りを舞い始めた。
「我等を護り賜し八百万~よ、願はくはこの者の御靈を、我の力持ち、新たな身體へと還へり誘わん……。夢幻傳生……」
それはとても神秘的で神々しいものであった。あゆ嬢の舞いと祝詞により、あゆ嬢に乗り移っていた八雲はその身体から飛び去り、そしてロコンの身体へと同化していった。
その過程は目には見えない、だが感覚でそれが理解出来た。
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「ん……んん……?」
「ロコン、気が付いた!?」
「うん……。お姉ちゃん……」
暫くしてロコンは目覚めた。八雲の魂と同化した新しい姿となって。
「ロコン……。ううん、今のロコンはもう狐じゃない、人間には人間の名をつけなきゃね……」
そう呟いた佳乃嬢の口から新たな人間の名前が出て来るのに、多くの時間は要らなかった。
「八雲――。これからのロコンの名前は八雲だよ。八雲君の魂はロコンの中で生きてる、だから生前母親以外の人の温もりを知らなかった八雲君に、これからいっぱいいっぱい人の温かみを与えてあげたい……。だから、八雲でいいかな――?」
「うん。ありがとうお姉ちゃん、僕にその名前をつけてくれて……」
嘗て河童と忌み嫌われ、そして殺された人間がいた。だがその人間は人の温かみを知った狐と同化し、そしてその狐と共に新たな人生を歩み始めた。
願わくは八雲の今後の人生に幸あらん――。そう私は心に強く願った……。
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「女史……!?」
事の全てを見送った後、ふと女史の顔を見た。するとその女史の顔は涙に埋め尽くされ、じっと佳乃と八雲の方を見つめていた。
「私には分かる……。これが父の求めていたものだ……。ようやく、ようやく辿り着けた……」
佳乃嬢の無事が確認された今、女史は素直な気持ちで涙を流すことが叶った。
女史の涙、それは父親の跡を追っていた自分が、ようやく父親の求めていたものに辿り着けた感動から流れている涙だった……。
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…第拾壱話完
※後書き
何と言いますか、拾壱話にしてようやく一つの物語が終わったという感じですね。まあ、「Kanon傳」に比べれば大分展開が早かったりしますがね。正直今回は前回を書いた直後は、「次どう持って行こう?」という感じにどうまとめるかは殆ど考えていませんでしたね。その割には一日で下書きが終わるという、今までで最速のペースだったりしますが(爆)。
それと今回は「Kanon傳」絡みのエピソードやネタが結構含まれていて、前作を知ってる方には「そんなエピソードやネタがあったな」と思わせられるかもしれない反面、この「たいき行」から入った読者には何を言ってるのか分からない部分があったかと思います。その辺りは「前作読め」と言うのもあまりに不親切なので、これから説明していく所は説明して行く予定です。後付けで設定を「Kanon傳」より深めたような所もありますし(笑)。
さて、細かいネタを見れば佳乃編の後半に出て来た白穂と八雲が登場したりしていますが、この辺りはテーマや世界観に合わせて大分設定を変えましたね。例えば原作では元寇にあたる話が前九年の役になっていたり、原作では戦勝を願った八幡様が、逆に敵対する立場になっていたりと(笑)。
これからの展開ですが、今回は「歴史は繰り返す」的ノリで「Kanon傳」の真琴絡みのエピソードの練り直しみたいなものだったので、次回もその延長線上の展開になるかと(笑)。
※平成17年2月10日、改訂 |
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